投稿エッセイ「望遠鏡」

「根っこ」

 私は、大鰐町で生を受け、弘前高校卒業後、上京してからはや30年近くになる。だが、故郷の風景は今も色あせず、その匂いは脳裏から消えることはない。もちろん津軽弁は、しかるべき相手さえいればいつでも再生できる。故郷を思う時、日常で忘れ去られている自分の心の根っこの部分が蘇ってくる気がする。その地元の新聞社から寄稿を依頼された。心が躍らないわけがない。自分の徒然なる思いを数回連載してくれるという。心を込めて筆跡を残したい。
 とは言え、私の日々の生活は周囲が期待するほど波乱含みではない。生活のほとんどは仕事に明け暮れる単調なもので、そこから引き出し得る徒然は、現在専心していることが主とならざるを得ない。すなわち綴りやすいのは医療に関わる話ということになる。それはそれで興味を持っていただけるだろうが、今回は、最初の寄稿なので、日々、胸中に秘めている故郷そして故郷の方々への思いを綴りたい。
 在京の時間が在郷のそれに比べてはるかに長いものになってしまったが、青森出身であること、津軽という故郷があることは、私のプライドを支える揺るぎないものとなっている。ここ数年は、脳梗塞を患った母親が地元の施設で大変お世話になっていることもあって、とんぼ返りではあるが、少なくとも上京直後にはあり得なかった頻度で帰郷している。その度に繰り返し感じるのは、青森は日本国内で最も神々しい地域の一つだということだ。さすがに国内を隅から隅まで訪れたことは無いので、断定的なことは言えないが、これだけ空気が奇麗で、水がうまく、この上ない食材に恵まれ、四季の変化が明瞭で、毎年決まって芯まで身が引き締められるほどの厳しい冬が訪れる地域はないだろう。日常の中で見る度に異なる表情を見せる岩木山、遠くに凛と連なる八甲田連峰、更には、奥に進めば文字通り奥入瀬の清流が待ち構えている。春の桜や夏の祭、そして、国内一の産出を誇る甘い果実などを忘れても、その迫力が失われないほど、第一級の素材に満ちあふれている地域だ。売り込めば、相当に売り込める素材を豊富に持っている。
 ただ、そこに住む人々はそこまで、買われたいとは思っていない。外から見ると、もったいないと感じることではあるが、それがこの地域の稀有な魅力の一つでもあり、それが私のプライドを根っこのごとく支えているところかもしれない。
 これらの魅力は、久しぶりに帰省を繰り返すことで、確固たるものとして感じたものであり、ずっと在郷し続けていたらその有難みに気付かなかっただろう。また、傍若無人な言動かもしれないが、学業において、私は東京の大学でこの人には勝負を挑めないと感じた人はいない。しかし、弘前での高校時代は、こいつには絶対勝てないと思ったことが多々ある。故郷は私という存在の根っこである。

essey

「感謝」

 故郷を想うことは自らの過去を思い起こすことに重なる。思えば私は久しく過去を回想してこなかった。馬車馬のごとく前を見て走り続けてきた。この寄稿のおかげで、故郷での生活の記憶をたどる貴重な機会を得ることができた。振り返ってみると、青森から遠く離れた地に生活の舞台をおいてから久しくして尚、幼少時から少年期の故郷での記憶は今も鮮明に残っていることに気づく。私は、奥深い自然環境の中で、懐の深い方々に見守られて在郷時代を過ごすことができた。そのことにこの上なく感謝している。この感謝の気持ちは、故郷を離れて時が経てば経つほど、自分の生きるステージが高まれば高まるほど、仕事の充実度が増せば増すほど、大きくなっている。そして、自然に満ち満ちた環境の中で育つことが出来たこと以上に、尊敬すべき多くの方々に生き様を導いていただいたことが、ことさら今の自分のアイデンティティを作っている。感謝すべき過去を思い起こすことは、出会うことのできた方々とのふれあいを思い起こすことに他ならない。
 私を自宅で取り上げてくれた助産婦さん、暖かく人懐っこい地元の方々、電車通学時に毎日改札口で出迎えてくれた幼稚園の先生、幼少時から情愛に満ちたふれあいに包まれていた。そして厳格な父と社交的な母親のもと幸せな家庭で育て上げてもらった。一方で、私の人格の基礎を築きあげてくれたものとして、小中学時代の恩師たちとの出会いほど有難いものはなかった。地元で開業医をしている旧友に、私が先生方に可愛がられる素質があったと言われたことがあるが、出会う先生方全てが尊敬すべき人格者であったことは、幸運以外のなにものでもない。お世話になった先生方にこの場を借りて心から感謝の意を示したい。
 さらに、自らの人格形成において最も影響したのは、小学校から部活動で始めたバスケットボール部での人間関係、人との絆だった。顧問の先生、先輩方からは、今の世の中では社会的に受け入れられないだろう愛の鞭を毎日のように受けた。ただし、そこにはお互いに対する強い信頼があった。それまで比較的甘やかされて育ってきた私が、毎日のつらい練習から逃げ出さずに立ち向かい続けられたのは、強いチームの一員であり続けたい思いと、先生・先輩方に対する恐怖心が間もなく深い尊敬の念に変わったことがその原動力だったからだ。県下で常勝チームの一員となり続けたことは、その後の人生において揺るぎない自信となっている。
 とかく過去は美化されるものだが、素直にそして冷静に見て、満ち足りた日々を故郷で送っていたのだとつくづく感じている。故郷への想いは幸せな思いであり続ける。本紙にもうしばらく連載させていただくが、紙面を借りて、お世話になった方々に恩返しが出来れば至福の喜びである。

essey

「転機」

 ロンドンオリンピックが始まり、遠く離れた島国で一流のアスリートたちによる熱い戦いが繰り広げられている。津軽では国内最大級の祭りが催され、一年の中で最も活気づく時期だ。今でも、8月最初の一週間はなぜか胸騒ぎ心躍らされる。夏祭りの迫力と余韻が身に沁みついているのか。祭りが終わりお盆を迎ると、県外に出向いた多くが帰省する時期となる。本寄稿は、まさにその頃掲載されるとのことだ。祖先の霊を祀る時期を迎えるにあたり生前深くかかわった天上の方々を思い起こしたい。
 祖父母の中で私が生まれた時に健在だったのは母方の祖母のみだった。温厚で聡明な祖母からこの上なく寵愛を受けた。その祖母は私が小学校に入学した年に69歳で他界した。胃癌であった。幼いながら途方に暮れた。そして祖母のことを忘れまいと誓った。我が家は何匹もの犬に恵まれたが、その分つらい別れも多かった。特に、幼稚園に通う毎日駅までの往来に連れ添った愛犬のシェパードは、突っ込んできた車にはねられ落命した。私を守るように身を挺した。家の玄関先まで走って倒れた姿は、今も脳裏に克明に残っている。実の弟のように思っていた2歳年下の従弟は、私が中学時代に真剣に打ち込んでいたバスケットの公式戦を初めて見に来るはずの数日前に川でおぼれて帰らぬ身となった。通夜では人前で初めて大粒の涙をとめどなく流した。厳格で真面目な父親は心から尊敬に値する人だった。私が東京で医師として機能し出したころ、地元の検診で父の肺癌がみつかり、私は東京で手術を敢行しようとした。しかし、すでに癌は相当に進行しており、外科医でありながら手術もできず父の最期を見届けた。
 お盆の時期にはいつも思い出す。生前を思うと時間が相当に過ぎた今でも寂しさがこみ上げてくる。その思いを忘れることなく、今生きる人たちに役立つため切磋琢磨することを改ためて決意するのもこの時期だ。
 私は高校までは密かに将来スポーツで身を立てることを思い描いていた。ただし学生の本分は学業であることを忘れないように心掛けていた。結局スポーツで身を立てる願いは叶わず得意教科を選択して進学した。上京後しばらくして職業について冷静に考える時期を得た。自分が好んで真剣に打ち込めること、社会的に受け入れられること、そしてそれで生活が築けることを条件に選ぶべき職業を思案して、在郷時には全く考えもしなかった医師になることを決意した。在郷時の死別の経験が潜在的に影響したのかもしれない。一方で、医師になったあと父を救うことができなった無念は、今も心に強く残っている。その無念を晴らすべく、現在の医療の限界を超える先端的医療の考案・実践に心掛けている。今後の連載では故郷で生活する方々が健やかに暮らし続けられるためのヒントも提示していきたい。

essey

「主役」

国政の場では内閣改造が喫緊の課題であるとまたも叫ばれている。政治家になるための政治、政治家であり続けるための政治が、日本の政治の代名詞と感ずることは残念なことだ。山積した国内外の課題に対する対策を実践する前に、その実行部隊の選考劇にばかり時間が費やされているようで日本の政治の成熟度の低さを憂う昨今である。ただ、このことは政治家のみを責められまい。日本の政治の体たらくは国民の政治への関心の低さや意識の甘さと大きく関係しているといえよう。さて、国政の課題の一つに社会福祉の問題がある。なかでも医療費の高騰が問題視されてから久しい。その対策として、治療主体の医療から予防主体の医療へと舵を切るべきだと政治家は主張する。このもっともな、意見・提言も、政治家がどのような制度をつくったとて成就しない。主体である各個人が意識を変えて予防の実践に踏み切らなければ状況が変わらないのは明らかだろう。
私は大学卒業後、がんと血管の手術を専門とする外科医として医療に励んできた。12年前に開業した後は、がんの早期発見・予防を目指した医療及び最先端医療の開拓と実践に注力してきた。その中で常に強く感じてきたのは、医療現場での主役は医師でも看護師でもなく治療を受ける患者さん本人であるということだ。単に治療の対象という意味ではなく治療の成否を握るキーパーソンという意味で患者さんが主役なのである。適切な治療法を選択する医師がいなければ治療は成立しないだろう。そして手術を担当する外科医の経験や技量が手術の成否を決める重要な因子であるだろう。しかし、それら以上に患者さんの治療に対する理解や姿勢、そして自身の精神力や生命力こそが治療の成否を分けることはあまり強調されていない。
地元青森が、国内で最も短命な地域で、世界でも有数の脳卒中多発地帯であることを耳にするたびに、胸の痛む思いがする。これだけ風光明媚で有数の自然環境があり、食材に恵まれ、文化的にも誇れるものをもつ地域だけに、なおさら健康面での欠点が残念でならない。その原因は以前より吟味されているように、厳しい冬の寒さのみならず、生活習慣や嗜好、労働環境など複数の要因が絡み合っている。食塩の摂取量を制御し運動を意識し禁煙を励行することが肝要であることはいまさら言うまでもないが、県や市が声明をだしても、医療機関がその実践を叫んでも、各個人が実際に腰を上げて行動に移さなければ何も変わらない。厚労省からの本年度の発表で同じリンゴの名産地である長野が男性の部門で最も長寿な県であったこと、を受けて地元の方々にも奮起していただきたいものである。冬の厳しさ以外には環境面で長野に劣るものは何一つないと思われるからだ。

essey

「未病」

 この文化の日に青森空港から弘前方面へレンタカーを走らせた。岩木山の頂は雲で覆われて望めなかったが、雲海の切れ目から一条の光がその麓に向かって突き刺さるように伸びていた。地上から天空へ上る花道にも見えたその白い光の矢にしばらく見とれていると、雲の隙間が閉ざされて瞬く間に音もなくその矢は消えた。
 故郷を訪れるたびに、このような神秘的な光景が日常的に見受けられることに気づく。日ごとに変わる岩木山の表情、雨上がりに田畑から立ち上がる七色の帯、天空まで澄み渡る空気、遠くを囲む山々の影、そして時には一面の雪化粧、これら地元では当たり前の風景が、ことさら幻想的で貴重なものに感じられる。
 菊ともみじの祭りが終わり、冬将軍の本格的な訪れが眼前に迫る時期となった。霜の降りる11月も後半になると、しばれる寒さが日常となり、粉雪が舞う日が増えることだろう。地元の人々は気がめいる季節の到来だ。みちのくの冬の過酷さを表現するのに、在京人に対して私は次のように話すようにしている。「東京の寒さには腹が立つが、青森の寒さには腹も立たず、ただ謝るしかない。
 東京の寒さは中途半端なので邪魔に感じて腹が立つが、青森の寒さはあまりに厳しく観念するしかない。その容赦ない寒さは、さまざまな健康被害をつくり得る。毎冬の厳寒に耐える在郷の方々に敬意を表すとともに、未病のまま一冬を乗り越えてほしいと願う。
 さて、医食同源という言葉がある。食は健康維持や未病に極めて重要であることを象徴した表現だ。病気を治すことのみが医療の目指すべきところではない。病気をつくらないこともまた、医療が達成すべきことだろう。その意味で食や生活の管理についての医学的情報に注視してほしい。何事もバランスが重要だ。
 血圧が低すぎると体の末端まで十分な血液が届かなくなるが、高すぎると脳卒中が発生しやすくなる。糖や脂肪を取らなければ生きるエネルギーが得られないが、取り過ぎると脳や心臓の血管が壊される。水と塩は取り過ぎると血圧が上がる。酒は適量だと百薬の長だが、飲み過ぎると寿命を縮める。脳は人であるために重要な臓器だが、最も疲れやすい臓器で自らの作業をできるだけ単純化して休もうとする。決められた単純作業の繰り返しは脳の使われる部分が少なくて済む。それが逆にあだとなり、使われていない部分に脳梗塞が起こりやすいことも分かっている。
 すなわち、できるだけ脳全体を使うこと、単純作業の繰り返しを避けて脳の興奮する領域が最も大きくなる手・指を使う作業や、普段使われていない脳の広い領域を十分にバランスよく使う創造的な作業を意識して行うことが、脳梗塞の予防につながる。

essey

「自立」

 ハッピーマンデー制度が導入されるまでは1月●日が成人の日であった。2000年以降は1月の第2月曜日にその日が制定されている。成人式を、帰省時期のゴールデンウイークやお盆に合わせる自治体も多い。私も夏に成人式を迎えた部類で、軽装ではあったが厳かに式が催されたことを記憶している。
 昨今、式典会場内での私語や携帯電話使用など新成人のモラル低下が取り沙汰され、時代を担う新成人を激励し祝福するために厳粛に行われるべき式典の形骸化が問題視されている。成人に求められるのは自立と成熟である。個人としての自立が、その帰属グループや組織の自立、地域の自立、国家の自立につながるだろう。最近の新成人の体たらくは、わが国の自立性の乏しさを映し出したものと言えなくもない。
 米国の女性人類学者ルース・ベネディクトが著書「菊と刀」で、内面に善悪の絶対基準を持つ西洋の「罪の文化」とは対照的に、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が制御される日本の「恥の文化」を指摘したことや、精神科医である土居健朗が「甘えの構造」で、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人独特の感情を「甘え」と表現したことがしばし注目される。日本の文化には誇れるものが多いが、自立すること、成熟することの大切さを改めて考えたい。
 お互いが相手の気持ちを察して大人であっても甘え合える日本の社会はある意味、素晴らしい社会と言える。一方で、自己主張を抑えて相手からよく見られようとする行為は、国際社会では幼稚と見られがちだ。
 医療の現場にも甘えの構造が見受けられる。日本の国民皆医療保険制度は世界に誇れる制度だが、他方で最大公約数的な型にはまった医療を求めるものでもある。医師が、保険診療というお墨付き診療に甘えて画一的な診療に終始し、例外的な症状に対する治療が不十分になることがあり、新たな治療法を開拓する努力を放棄していることもある。患者側は行政や医療側に甘え、病気の予防や早期発見のために必要な行為を自ら積極的に行わない傾向がある。
 がんは発病すると死に至り得る病気だが、今や国民の2人に1人はがんを発症する時代で、発症した人の半分は克服して健康を取り戻せる。現代医療においては、ありふれた疾患であり、早期に対応すれば根治が期待できる。がんで命を落とさないようにするには、自らが予防・早期発見をする意識を持つことが重要だ。
 たばこを止め、塩分を控え、適度な運動をしてストレスを解消すること、医療機関に出向いて定期的に必要な検査を受けることは、他人に甘えて達成できるものではない。私も、お墨付き診療に甘えずに、新たな治療法の考案や実践に日々取り組んでいきたい。

essey

「再生」

 弥生は旧暦3月の呼称で、新暦3月の別名にも用いられる。その由来は「草木がいよいよ生い茂る月」にあるらしい。今年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催され、例年以上に国民が高揚する月になるだろう。地元でも新たな年度への期待と決意を持つ人が多いに違いないが、酷寒は過ぎても、依然寒さが厳しく春の訪れはまだまだ遠い時期だ。それ故にスキー場は十分滑走が可能かもしれない。
 大鰐町の阿闍羅山には思い出が多い。ノルディックスキーからアルペンスキーに履き換えて恐る恐る初めてリフトに乗ったこと、前平のこぶ斜面をうまく滑れて妙な英雄気分に浸れたこと、神沢の急斜面で雪面から飛び出したタラの木にスキーを引っ掛け、斜面の上から下まで転げ落ちたこと―など記憶に残るエピソードだ。この山が近くにあったおかげでスキーが日常となり、雪国出身者として恥ずかしくない滑りが身に付いた。
 ところが、昨今、このスキー場に限らず大鰐が苦境にあるという話を耳にする。豊かな自然と緑に恵まれた、スキーと温泉の町の再生を心から願う。
 医療においても再生医療が期待される。脳卒中で失った機能の再生が可能になるかもしれない。しかし、まだ疾患の発症を予防することに勝る有効な対処法はない。
 先日、同門で専門の異なる医師たちと情報交換の場を持てた。その中で都心の基幹病院で脳神経外科の部長を務める医師の提言は示唆的だった。いわく、自分は脳梗塞やくも膜下出血を予防する手術に注力しており、脳神経外科の領域でも予防が極めて重要だ、と。また、その予防には正常血圧の維持が必須だ、と。
 脳梗塞やくも膜下出血の患者さんが青森に多いのは今さら言うまでもない。良水と海の幸に恵まれた地に住まう方々に、高血圧を防ぐため、酒を一滴も飲むな、刺し身はしょうゆ抜きで食せ、とはさすがに言えないが、できれば毎日血圧を測定して正常血圧を維持する意識を持ってほしい。家庭血圧計の常備は強制できないまでも、温泉などに血圧計を置いて測定できる環境を増やすべきだ。
 日本の保険診療は疾患の予防ではなく治療に注力するものだが、例外的に血圧やコレステロール管理など脳卒中の発症予防には対応する。血圧測定は単調な作業だが、その励行により地元の方々が脳卒中を発症せずに活発に地域の再生に励まれることを願っている。
 私の好きな言葉に「fruitful monotony」がある。英国の哲学者バートランド・ラッセルの「幸福論」にある言葉で、直訳すると「実り多き単調さ」となる。「単調さ」そのものに価値があるわけではないが、何か事を成し遂げるには、必ずそこにある種の単調さが存在する、という意味だ。

essey

「品格」

 みちのくの桜の開花が待ち遠しい時節だ。この紙面に私の最初の駄文が掲載されたのは昨年の弘前さくらまつりの直後だった。光陰矢の如(ごと)く、1年にわたる寄稿があっという間に最後を迎える。このおかげで、故郷を見つめ直し、心に宿る故郷への思いを再確認することができた。陸奥新報の方々にこの場を借りてお礼を申し上げたい。
 青森の品格という記事を、以前雑誌で目にしたことがある。給食費納入率が全国でトップ、全国で一番真面目に給食費を払う県民だ、とのくだりから記事は始まった。県内でも津軽地方が最も納入率が高い。その理由を津軽人の気質ともいうべき「じょっぱり」や「さんふり」すなわち「えふり、あるふり、おべたふり」にあるとも説く。これらの気質は、実は津軽だけのものではない。貧乏でも踏ん張って生きてきた古き良き日本人の気質に重なる。拝金主義の中で日本人は大切な道徳心をなくした。一方、青森はかつての日本人の品格を忘れていない。記事はそう締めくくった。
 また、他に青森が国内1位に君臨するものとして、リンゴ、ニンニク、ゴボウ、長芋、フサスグリ、天然ヒバ、ヒラメなどの産出量で、水のうまさ、早寝・早起き、スポーツをする平均日数もトップクラスだ。神の恵み以外に、人々の行動様式の点でも誇れるものがある。寡黙で、辛抱強く、粘り強い点がその特性としてしばし指摘されるが、一方で太宰治、石坂洋次郎の小説や棟方志功の作品に見られる独特のユーモアの文化も注目に値する。強情っ張りで頑固で一途(いちず)だがユーモアも忘れない、極めて魅力的な人物像が浮かぶ。
 このように誇れるものが多い中で、平均寿命や平均体重は逆に国内ワーストだ。そして、がん死、特に大腸がんによる死亡数が極めて多いとも聞く。
 がんは、今や国民の二人に一人が発症する。ただし、がんと診断されてもその半分は救われている。決して不治の病ではない。救われるポイントは早期発見に尽きる。すなわち各人が予防と早期発見の意識をもって生活管理と定期的な健診に励むべきだ。酒、たばこ、塩っ辛い食事におぼれずに、日常のストレスを癒やすものを見いだす。
 それには豊かな発想が必要だ。厳しい冬と閉鎖されがちな社会環境の中で、殻に閉じこもらずに、そこに訪れる人々や物を受け入れる姿勢が大切だろう。良いものを受け入れ、来客をもてなす。それにより得られる情報や心の通い合いが、自身を刺激し新たな世界が形成される。他との交流が日々の閉塞(へいそく)感を打破してくれるはずだ。
 最後に、私の品格はまさしく津軽のそれだろう。寒さ厳しく、日暮れは早いが、空は青く雪は白く、水は清く、神々しい国、男も女も人懐こい国。それが津軽だ。私の時はそこで作られ、私の魂はそこで育まれた。 

essey